英語教育の哲学的探究2
昨年12月の山岡洋一氏追悼シンポジウムが終わると、疲れがどっとでてしまい、ひさしぶりに本がまともに読めなくなった。(後に述べる例外はあったけど)読もうとしても文章が頭に入ってこない。善男善女による英語教育のことなんて考えたくもない。たまった仕事に妙にイライラしてしまう。ツイッターなども見る気になれなかった。
長年の経験から、これは疲れがたまっていることから生じる症状に過ぎないと判断していたので、仕事納めを楽しみにしていた。やらなければならない仕事はたくさんあるのだが、年末年始は完全休養するつもりだった。義理を欠いても休まないと身体がもちそうになかった。
29日と30日はただ阿呆のごとくDVDやテレ� �を見ていた。DVDといっても、頭を使うようなきちんとした映画はとても見ることができなかったので、『サウスパーク 無修正映画版』などを見た。
この映画は「○ロ」の「○」の中に「エ」「グ」「ゲ」などを入れても眉をしかめない人にしかお勧めできない。特に翻訳(吹き替え)の点からすると非常に面白い。私は最初に英語字幕・英語音声で映画を見て、次に英語字幕・日本語音声(関西弁での吹き替え)で二度目を見たのだが、これは何をどのように何処まで翻訳するのかという点でいろいろ考えさせられた。「エ」「グ」「ゲ」の挿入に心乱されない人は見て、翻訳(吹き替え)について考えてみると面白いかもしれない。
ただ、このような作品を人に薦めた場合、単なる下ネタの部分にだけ反応して「いやぁ、あ� ��オモシロイッスよね」と近づいて来る人がしばしばいるが、このような作品の「毒」 ―このような表現を、自分も含めた誰にでも取らなければとてもやってられないという切実な気持― を理解できるだけの知的感性をもたない人は、私には近づいてきてほしくない(このように否定的な言葉を出すということは、私は今の時点でもずいぶん疲れてイライラしているようだ)。ロックでもジャズでも(あるいはクラッシックでもいいのだが)、一度、表現を極限にまで徹底させたい衝動を感じたことのない、単なる下品なだけの鈍感な人は、このような作品の表層だけを語ることをやめて欲しい。絶望的な思いをしながらも ―本当は絶望というほどのものでもないのだが―、それでも前を向かなければならない切迫感を感じたことが� �いのなら、テレビの歌番組でも見ながらツイッターでつぶやきあっていてほしい。
と、文章を書き始めて、自分がまだずいぶん不機嫌なようなので自分でも驚いているが ―私はこれでもずいぶん回復したからこの文章を書き始めたのだが―、ついでながら毒づくと、30日の夜にテレビで見た『踊る大捜査線 THE MOVIE 3 ヤツらを解放せよ!』はひどかった。コメディにもエンターテイメントにもなっていない。テレビの質が落ちたとは昨今の時候の挨拶のようでもあるが、フジテレビ系列が金をかけてこれだけのものしか作れないのなら、テレビ系の作品劣化は相当酷いのだろう。これなら『アメトーーク』を見続けていた方がよかった。
それに約半年ぶりにテレビを見ると、CMはこれほどに多かったのかと驚いてしまう。自分の人生というものは、自分の時間に他ならないのだが、その時間をこれほどに細切れに支配されてしまうのは、どうにも賢明な生き方とは思えない(こう偉そうに言う私も半年前まではけっこうテレビを見ていたのだが)。「タダほど高いものはない」というが、テレビは怖い。
31日になって、せめて年賀状でも書かなけれ ばと思ったが、書こうとするとどうも猛烈なイライラ感がまだ襲ってくる。メールの返事も書けない。世間の義理を果たすことは諦めることにした。十数年ぶりに一枚も年賀状を書かないまま新年を迎えることになった。
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これほどの疲労感とイライラが久しぶりにくるのは、単なる身体の疲れだけではないのだろうということは、この頃までには疑いようのないものになった。私は3.11以降のことを総括できないでいた。この不全感が私の心身の奥底に巣くっていた。
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3.11の衝撃には言葉を失った。現代日本の同胞が家を失い家族を失い、寒さに震えながら飢えていた。同じ時期の西日本では、私の近隣のスーパーマーケットにもあふれるほどの食品がならんでいた。この事態が信じられなかった。
原発事故が人災であることが明らかになり始めた頃から、私は文部科学省などの木で鼻をくくったような対応に怒りまくっていた。私はよく文部科学省の学習指導要領の批判などもするが、その批判はある意味「国」という威信が少々では崩れないことを前提としているものだ。だがこのような対応をしていれば、国民は(少なくとも当事者とされた国民は)「国」への信頼を根本から失ってしまうのではないかと心底怖れていた。毎日数多くのツイートを流した。ブログ記事もとにかく書きまく� �た。今思えば、あきらかに尋常な心境ではなかった。
だから5月のある金曜日の昼休みに、文部科学省が子供の1年間の許容被ばく線量目安の「20ミリシーベルト」をとりあえず引き下げるという報を聞いた時は力が抜けてしまった。その日は午後に2つ授業があったのだが、正直私は腑抜けのようになって教壇に立っていただけだと思う。
ここで私は力尽きたような格好になってしまった。
ブログ記事を見ても6月と7月はほとんど書いていない。8月になって、同月の学会発表と9月の学習英文法シンポジウムの準備にはさすがに追われてそれ関連の記事は書いているが震災や原発のことについては書いていない。実際、8月の盆休みは家にこもって冷凍食品ばかり食べながら学会準備をしていた。久しぶりに脳がクタクタになる� �らいまで発表準備をしていた。
秋からはいつもと同じように授業や英語教育関係のブログ記事が続く。とはいえ数は例年より少ない。とにかく忙しかった。折々に考えたことをまとめる時間がなかったことが恨めしかった。
しかしそれ以上に恨めしかったのは、自分自身だった。
震災の爪あとはまだ残っている。原発問題は今なお現在進行中だ。しかし、春先と同じような情熱(あるいは激情)と時間でもってこれらの問題に正面から立ち向かおうとする自分はいなかった。
今振り返ってみると、私は巧妙にこれらの問題から逃れていた。無論時折これらの問題についてのツイートはしていた。だがそれはひょっとしたら自分に対する言い訳だったのかもしれない。まさに現在進行中のこの大問題に対してほとんど何� �できないだけでなく、何もできないことの自覚さえ巧妙に隠そうとしている自分がいた。心底ではそんな自分に気づきながら、自分は気づいていない演技を自分自身に対してもしてきたのかもしれない。
私は意識の奥底で自分を好きになれないでいた。同時にこのような現実的な問題が進行している最中に、自分が自分を好きになれるとかなれないとかいう自閉的な問題に拘泥している自分が情けなかった。さらにこのように自分が自分を好きになれないし情けなく思っているということを正面から見据えようとしない意識の混濁が私の心身を蝕んでいた。
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だがここまで気持を整理できるようになったのは、実は今日ぐらいのことだ。話を12月の翻訳シンポの後に戻すと、私はある日、もうやってられないと、5時過ぎに帰宅した(中高年の小さな反抗というのはこのくらいのものである)。
帰宅して手に取ったのは買っていてそのままにしていた村上春樹のインタビュー本『小澤征爾さんと、音楽について話をする』だった。
村上春樹は、以前から少しずつ語っていた文章と音楽の関係についてこの本でも述べていた。
音楽的な耳を持っていないと、文章ってうまく書けないんです。だから音楽を聞くことで文章がよくなり、文章をよくしていくことで、音楽がうまく聴けるようになってくるということはあると思うんです。両方向から相互的に。(129ページ)僕は文章を書く方法というか、書き方みたいなのは誰にも教わらなかったし、とくに勉強もしていません。で、何から書き方を学んだかというと、音楽から学んだんです。それで、いちばん何が大事かっていうと、リズムですよね。(129-130ページ)
言葉の組み合わせ、センテンスの組み合わせ、パラグラフの組み合わせ、硬軟・軽重の組み合わせ、均衡と不均衡の組み合わせ、句読点の組み合わせ、トーンの組み合わせ、句読点の組み合わせ、トーンの組み合わせによってリズムが出てき ます。ポリリズムと言っていいかもしれない。音楽と同じです。耳が良くないと、これができないんです。できる人にはできるし、できない人にはできません。わかる人にはわかるし、わからない人にはわからない。(130ページ)
だが、そんな春樹の話よりも面白かったのは小澤征爾の述懐だった。私は20代に小澤征爾の『ボクの音楽武者修行』の瑞々しさを本当に愛したし、サイトウ・キネンのチャイコフスキー・弦楽セレナードやモーツァルト・ディヴェルティメントK.136 は大好きだった。またたまたま友人宅のDVDで見たストラビンスキーのエディプス王には本当に衝撃を受けた(だが小澤のブルックナー第八番だけはいただけなかった。ブルックナーをあんなに感情的に指揮してしまってはいけない、と私はテレビを途中で切った)。
この本で明らかになったことの一つは、小澤が本当に語学下手であったことだ。よくもまあ、こんな語学力で長年外国で仕事ができたものだとあきれるほどだ。しかし小澤には、師匠の斎藤秀雄氏から学んだ指揮法という身体言語があった。彼は身体を使って音楽の仕事をした。さらにバーンスタインやカラヤンなどのリハーサルを徹底的に観察し、楽譜も徹底的に読みこなした。小澤は言語では考えず語らず、音楽で考え語った。
そんな小澤は、村上の質問を受� �て次のように応答する。
(しばらく黙考する)あのね、あなたとこういうことを話していて、それでだんだんわかってきたんだけど、僕ってあまりそういう風にものを考えることがないんだね。僕はね、音楽を勉強するときには、楽譜に相当深く集中します。だからそのぶん、というか、ほかのことってあまり考えないんだ。音楽そのもののことしか考えない。自分と音楽とのあいだにあるものだけを頼るというか・・・(229ページ)
この小澤の発言は、よくわかるような気がした。とりわけ小澤がマーラーについて語るとき、マーラーをそれほどあまり聞かない私にでも、音楽でマーラーがそして小澤がやろうとしていることがよりわかるような気がした。確かに彼らは音楽で考え、音楽で語っている。言語でなく、音楽で考え語るということは確かにあることだ(たとえこれが比喩表現に過ぎないにせよ ―だが「気分は上々」が比喩表現であることを通常私たちは問題視しない―。
ユングによれば、心の機能を「思考-感情」という合理的な対立軸、「直観-感覚」という非合理的な対立軸の交差で説明することができる。とりあえず思考を上(12時)に置くと、時計回りに右(3時)が感覚、下(6時)が感情、左(9時)が直観となる。人間の心は、� �下・左右のどちらかを優越機能、もう一つを劣等機能として持つ。(例えば私はおそらく直観、次に思考を優越機能としてもち、感情そして感覚を劣等機能としてもっているのだろう。だから私は直観的な思考には強いが、感情と感覚は未分化で粗野でしばしばコントロールを失っている。)
私の自己分析はさておき、言語と音楽の話に戻るなら、言語は思考と直観を得意とする表現媒体、音楽は感情と感覚を得意とする表現媒体とは言えないだろうか。もちろん言語が感情と感覚を表現できないとか、音楽が思考と直観を表現できないというわけではない。
しかし例えば哲学的な思考と直観を表現するには音楽よりも言語の方がはるかに好都合だろうし、にわかに名状しがたい感情や感覚を表現するなら言語よりも(例え ばドビュッシーのような)音楽の方が適しているだろう。もちろん例えばバッハやブルックナーの音楽は私達の思考や直観を刺激する。宮沢賢治の言語は私達の感情や感覚に直に訴えてくる。だから言語も音楽も私達の心の主機能 ―思考・感情・直観・感覚― のどれをも表現できる。しかしその特性において言語と音楽は大きく異なる。
私は大学院生の頃から理屈っぽいことばかりを言語で考え語ってきたが、他方、中毒のように音楽を聞いてきた(今この文章を書きながらも聞いている)。これは私の心の無意識の補償作用だったのかもしれない。だが最近は音楽を聞くことすらおろそかになっていた(あるいは聞いても心を響かせないままにしていた)。だから私の心もカピカピに乾ききってしまったのかもしれない。
� �んな村上春樹と小澤征爾の本を読んでいたことを思い出したのは、31日のことである。だから年末最後のこの日は音楽ばかり聞くことにした。自分の言語で考えたくなかったからだ。疲れきった身体と、心底で自分を憎んでいる心から生成される私の言語で考えてもろくなことにならないと思ったからだ。
夜はEテレ ―多くの人と同じく私はこの略称にまだ馴染めないでいる― をつけていた。定番のベートーベン第九が演奏された。私はオーケストラの音のすべてを聞こうと努めた。音楽で考えるためだ。ベートーベンや彼の作品の演奏家がそうしているように、言語ではなく、音で考えようとした。だから音楽を聞きながら余計なことを考えることなく、ひたすら音を追おうとした。主旋律ばかりに耳を傾けてしまいがちな意識� �操作し、その他の音をできるだけ聞きとろうとしていた。
だが第四楽章で私はまた怒りを覚えてしまった(やっかいな中高年だ)。音楽による思考が中断された。いわゆる「歓喜の歌」の訳詞が画面に流れる。
抱き合おう、諸人(もろびと)よ!
この口づけを全世界に!
兄弟よ、この星空の上に
父なる神が住んでおられるに違いない
諸人よ、ひざまついたか
世界よ、創造主を予感するか
星空の彼方に神を求めよ
星々の上に、神は必ず住みたもう
「嘘をつけ!」と私は画面に対して毒づいていた。歌っている、演奏している、あるいは聞いている人のどれだけが神を信じているというのだ。もちろんクリスチャンもいるかもしれない。しかし少なくとも私のような人間にとっては、クリスチャンであっても神を信仰するということはそれほど容易なことではない(それどころかMother Teresaにとってすら信仰を保ち続けることは困難であった)。
たしかに私にとっても、3.11直後に第九を聞くことは大きな体験であった。大きな励ましであった。
だが「フクシマ」以降 ―現代日本の「繁栄」の偽善・狡猾さ・無責任さ、そして残酷さが明らかになった後― 「兄弟よ」と第九を歌い・聞き・讃えることは、おそろしく鈍感なことであり、不誠実であるとさえ言えることではないのだろうか。
Eテレの続く音楽番組はその後、佐渡裕がベルリン・フィルを振るショスタコーヴィチ交響曲第5番を放映した。巨体をゆらせて汗を飛び散らせる佐渡を嘲笑うことは容易だ。しかし今の私達にとっては、狡猾に保身と自己表現を重ね合わせたショスタコーヴィッチを聞くことの方がはるかに誠実なこととはいえない だろうか(たとえ第5番を「熱演」することが「鈍感」のそしりを免れないことだとしても)。
私はCD棚にショスタコーヴィッチの作品を探したが、交響曲全集も弦楽四重奏全集も大学に置いていた。私はEテレの音楽番組を見続けたが、もう心は半分ショスタコーヴィッチのことを考えていた。
考えていたというのは、音楽ではなく言語、私の言語で考えていたことであり、それは鬱々とした思考とならざるを得なかった。
私はブログでその年の総括をすることをしばしば行なっていたし、2011年はことさらに総括しなければと思っていた。しかし何度やろうとしてもできなかった。実は、私は年末に福島で被災した先生に出会う機会があったのだが、はたせるかな私は何と言っていいのかわからなかった。同じように31日にな っても私は2011年を自分の言葉でまとめることができなかった。せめて「総括できない」ということだけでも年内にブログに書こうかとも思った。だがそれもできなかった。私の心身はとても自分の言葉を書き出す状態になかった。無理矢理言葉を書きつければ、私はその自分の言葉を激しく拒絶していただろう。
***
そうして新年を迎えた。元旦礼拝に教会に行き、母の家を訪れてそこで一泊した。私の心は、まだ混濁したままだったが、身体の疲れはようやく少しずつとれてきたようだった。だが武術の稽古はおろか、身体を整える運動すらする気にはなれなかった。身体もまだきちんと回復はしていないのだろう。
そんな中、私は村上春樹の『小澤征爾さんと、音楽について話をする』の後に読んだ桜井章一の『運を超えた本当の強さ 自分を研ぎ澄ます56の法則』のことを思い出していた。
この本の著者は桜井章一となっているが、実際は将棋の羽生善治がインタビューしたものであり、彼の問いかけの素晴らしさが桜井章一氏の深さをよく掘り起こしている。世間的な知名度では羽生氏の方がはるかに上であり、また麻雀と将棋という異なる競技ではあれ、少なくとも同等の扱いを得ても当然といえるのに、羽生氏はこの本で徹底的に裏方にまわり、桜井氏の再三の誘いも丁寧に断り、ひたすら桜井氏からの言葉を引き出そうとしている。本の売れ行きからしても羽生善治の名前を出したほうが絶対に売れるはずだし、出版社もきっとそれを強く薦めたはずだが、この本では羽生氏は徹底して裏方に徹している。だから私はことさらに、桜井章一氏に興味をもった人� ��読むべき本としてこの『運を超えた本当の強さ 自分を研ぎ澄ます56の法則』をあげておきたい。(関連記事:桜井章一先生の著作8冊、桜井章一(2010)『努力しない生き方』集英社新書、桜井章一(2009)『負けない技術』講談社+α新書
この本の主要テーマの一つは「身体」である。羽生自身、次のような見解をもちつつ桜井に次々に問いかけてゆく。
いろいろやるのですが、どこかで限界がきてしまう。頭の容量は決まっています。私自身、考えるだけの限界を感じてきているので、そろそろ身体を使うほうにシフトしようかと思っています。(68ページ)
その羽生の問いかけが明らかにしてゆく桜井章一の麻雀とはまさに「身体」によるものということである。通常なら一時間くらいはかかる半荘の大会を15分ぐらいでやる、桜井率いる雀鬼会の麻雀スピードについて、桜井は次のように語る。
そこまで速くできるのは、打つ時に考えを入れないからです。もちろん何を切ってもいいわけではありません。切る牌より大切なのは、牌の切り方、動作です。同左が精神や脳を揺らしている。その動作こそを道場で教えています。(63-64ページ)
普通の人が聞けば「ハアッ?何すか、それ。アッハッハ」と高笑いしそうな記述かもしれない。しかし語っているのは麻雀の代打ちプロとして20年間無敗であった男であり、それに真剣に耳を傾けているのは将棋史上初の「永世六冠」であることを忘れてはならない。自分の知性で理解できないことを笑い飛ばすことで自分の体面を保とうとする者こそ愚者である。
「考えを入れない」とはいえ、もちろん脳は働かせている。しかしそれは「身体の中の脳」である。
私は最初、麻雀は頭で打つものかと思っていました。その次は精神かなと。でもこの歳になって思うのは、やっぱり身体だということです。麻雀とは身体で打つものだと分かりました。脳も神経も、何年も前から身体の中に入っている「身体の中の脳」「身体の中の神経」という部分です。こうした部分ではなく、全体を使って打つのが正しいのだと。(72ページ)
私の限られた知見でも、私は上の言葉に例えば神経科学のDamasioの見解を思い起こしてしまうが、もちろん桜井は麻雀の具体を語っているだけだ。
麻雀は流れでやるものですから、動作が流れていないといけません。思考の流れと動作を一緒にしていくのが自然なのです。そうやって自然な動作ができる人は、ほどんどいません。牌を打つとき、牌を上から下に下ろすのでも、葉っぱが落ちるようにスーッと降ろせばいいのですが、身体が閉まってしまったり、開いてしまったり、ひじが重かったりする。そうやってちょっとブレただけで、エネルギーが全然違います。(71ページ)
この身体の自然は、無論麻雀の場に限った話ではない。以下は羽生の問いかけと桜井の応答である。
――「日常」という観点からも、身体についてもう少しお聞きしたいのですが。私は日常生活でも、他人の身体の動きを見て、いろんな癖を直したりしています。現代では、正しくスムーズに身体を動かせる人は少ない。正直、人の中には見つかりません。
一方で動物、そして植物は、本当にきちんと身体を動かせている。亀やサメ、鳥でもいいし、あるいは葉っぱのような植物でもいい。彼らの動きはものすごいです。すごくいい動きをしています。
――それは動きが美しいということですか?
いや、彼らは決して美しく動こうとはしていません。ただ、生きようとしている。そこに正否はありません。もちろん善悪もないでしょうし、結果として美しいとか醜いということもありません。
桜井氏はさらに具体的な身体の動きについて語るが、それらがことごとく私が今ある武術で教えていただいていることの通りであることにも驚く(いや、これは理の当然であり、驚くべきことではないのだろう)。武術で身体操法が筋力などよりもはるかに重要であることを多少なりとも理解し、さらには知的仕事においても姿勢が重要であることを体験した私としては桜井氏の言葉に大きな説得力を感じる。(関連記事:身体を整えて、心の苛立ちや不安を鎮めましょう)。
この本を思い出すことができたのも、少しずつ私が回復してきた証左なのかもしれない。
だが今回の私にとって決定的な力となったのは、そんな中ふと目にとまり再読し始めた日野晃氏の本だった(私の人生では時折このような偶然が大� ��な力を生み出してくれる)。
コンテンポラリー・ダンスの巨匠ウィリアム・フォーサイスとの交流の中で、日野氏は、武道でもダンスでも大切なことは「関係性」であり、そのために重要なことの一つは目でconnectすることだとする。以下は、その日野氏へのフォーサイス氏からの質問、およびそれへの日野氏の応答である。少し長くなるが引用する。
「日野、目でコネクトするのは分かったが、じゃあ、意識・精神や気持というのはどうなんだ」「君のボディというのは、そんなにバラバラに管理できたり、コントロールできるのか?」
「・・・・・」
「君らの考え方、つまり、日本からみた西洋的考え方は完全に間違っている。この"私"はこの"身体そのもの"だ、それはわかるだろう。精神はどこにあるの?意識はどこ?分けることが出来るのか?」
「そんな考えを持ったことがないが、話していることは分かる」
「それをどうして、精神とか、気持とか、あるいは感情とか、また、この筋肉、この意識、という具合に分けて捉えるのだ。分けて捉えたところで、実際には分けることなど出来ないだろう。ここの筋肉を使うといったところで、身体じゅう全部神経 で繋がっているだろう。そして、それは自分の気持や感情とも繋がっているだろう。つまり、身体のどこをとってもそれは全部繋がっているということで、身体は紛れもなくひとつだとうことだし、"私そのもの"なのだ」
(中略)
「ただ、何か明確な目的があって考える時には、分けた方が混乱しないから、便宜的に分けても良い。しかし、この私イコールこの身体であり、これは人類普遍だろう。だから、たとえ分解しても常に全体として考えなければ駄目なんだ。でなくれば、全体のないジグゾーパズルのようなものになってしまう。それこそ、身体分裂症だ!」
「そうだ、分かる」
「であれば、そのややこしいことを言う頭を何とかしろ!」
私は、これだけ身体を休めたのに、どうして心が回復し� �いのだろうと思っていた(私はこれまでの経験から、心のトラブルは極力身体の問題として考え、身体の状況の改善で解決を図ることを学んでいた)。睡眠も栄養も休息も十分取ったはずなのに、心が晴れないのは(そして身体も思ったほど十分に回復していないのは)なぜだろうと思い悩んでいた。
気づいてみればバカな思い込みだった。
心も身体に他ならないというのなら、身体の不調が心に伝播するように、心の迷いが身体の不調となることは自明のことではないか。「心と身体の大切さ」や「心身のつながり」などと御託を並べつつ、私はいつのまにか「心」と「身体」を分離させた身体至上主義に陥ってしまっていた。心とは身体であり、身体は心である。「心」と「身体」という二つの言葉を使うのは便法に過ぎず� ��両者は不即不離の二側面である。("Dual-aspect monism"とでも呼べばいいのだろうか。それともDavidsonがいうように"anomalous monism"でいいのだろうか。やれやれ私はphilosophy of mindすらきちんと勉強できていない)。
今回の私の不調で言うなら、この世の矛盾に何もできずにいる自分を嫌っている自分が心の底にどす黒くうごめいている以上、私の身体が十全な状態にならないのは当たり前ではないか。こんな簡単なことがわからなくなるというのは怖ろしいことだ(そう言えば、この年末年始で私は音楽に救いを求めながらも、クラシック音楽ばかり考え、ジャズやロックの存在をすっかり忘れていた。窮した人間とはかくも愚かになるものか)。
そういうわけで本棚に日野晃氏の他の本を探すと『こころの象(かたち)』が見つかった。日野氏が初見良昭氏との邂逅について語った本だ。
ここで日野氏は日本の伝統武芸(武術・武道)を、「こころの象(かたち)」と喝破する。
日本の伝統武芸と呼ばれるものは、現象としての形、つまり、刀をどう動かすのか、足をどう使うのかといった運動体としての姿より、それを支えている「こころの象」を指している、といっても差し支えない。逆に私は、日本の伝統武芸(武術・武道)とは「こころの象を体現・表現されたもの」である、と定義する。
同じ一刀斎が残した言葉に「月、無心にして水に移り、水、無念にして月を写す、内に邪を生ぜざれば、事よく外に正し」があるが、これも、人の「こころの象」を端的に表している言葉だ。(16ページ)
このように心を身体に体現する時に大切なのは「感性」である。だがこの「感性」の定義を明確に示すことができる人は少ない(私にとってもこれは長年の課題であり、ある時に身体哲学の研究者に会う機会に恵まれ、これ幸いと尋ねたところ、その人も明確な答えを持っていなかった。これには驚いた)。
日野氏は感性について次のように説明する([ ]は私の補注である)。
しかし、これ迄「感性」「感性」と並び書いているが、その「感性」の正体は?というと、現時点では明確なものはどこの書物を探してもいまだ提示されていない。そこで、ここで断言するとすれば「違和感を感じ取る力=差異を感じ取る力」だと言える。それは、「生命」というものの持つ働きの一つの現れだといって良い。生命は「保存と維持」を目的としている。であるからそれは「敵か味方か・戦うか逃げるか」を嗅ぎ分ける力を源とするものだ。
つまり、種としての存続に関わる非常に重要な人間の能力であり、生命の本質的な働きの一つだということになる。
(中略)
そして、最も重要なことは、[古来、日本人が] この「感性」を判断するための定規として扱った、という点だ。
つまり、「人」自ら� �理論的に考えだしたものを、、判断の基盤に置くのではなく、生命が持つ「感性」を判断の基盤に置いて、その上に理論が乗るということである。(133-134ページ)
生命の保存と維持のために重要な差異を感じ取る力としての「感性」を物差しとすることが、日本の武芸の、そして工芸の、さらにはおそらくは日常的な美意識であった。そしておそらく美意識を私たちは倫理としていた。
しかし再び私のくだらない不調について語るなら、この現代日本の偽善的で残酷な繁栄を軽蔑する自分が、まさにその繁栄の中にいて、しかもその繁栄からこぼれ落ちないように日々保身ばかりに汲々としているという矛盾を、私は理屈で考え解決しようとし、それができずに心と身体の調子を崩してしまった。私にとって理屈・理論こそが定規であり物差しであった。心身の感性をせいぜい警報器ぐらいとしてしか扱っていなかった。感性を規矩にし、感性に虚心坦懐に従い、自らの言動をそ� �感性の差し示しに任せるということを怠っていた。
心の問題を、もっぱら身体の問題として考えるということは、「心」が実体化されがちな心理主義的現代での最初のアプローチとしてはそれほど間違いではないだろう。しかしそこでとどまっては、心を切り離した身体主義になってしまう。必要なのは、身体と心を同一事象の連動するニ側面として、同時にしかし異なるやり方で働きかけ、身体と心が出してくれる同じ応え ―両者は同一なのだから同じ応えが出てくるに決まっている― に従うことなのだろう。
――こうしてみると思考においても言語は万能ではないことがわかる。二者が同一にして別とは、言語では少々語りづらい。私たちは先ほど音楽で考え、語ることについて述べたが、ここで私たちは、桜井章一� ��や日野晃氏の導きに従い、「身体で考え、語る」ことについて述べ始めるべきなのだろう(いやそれとも「身体で考え、示す」というべきだろうか)。
私が現代日本の矛盾に(あるいは"Occupy Wall Street"でも顕わになってきた高度資本主義の矛盾)に今更ながらに気づき中2生のように悩むのなら、私は矛盾を理屈で考え解決しようとして、次々にやってくる反対の理屈につぶされるのではなく、身体で考え、その感性的思考を次々に自らの身で示すべきだろう。
どだい「3.11で現代社会の矛盾に目覚めました」というのもおめでたい話だ。それこそ愚鈍というものであろう。矛盾はおそらくは人間文明誕生と共に生じたはずだ。人に意識を失い文明を捨てるという選択肢がない以上、私達がなすべきことは矛盾と共に生きることである。
「矛盾」は初見良昭氏も感じたことだと、初見氏を敬愛する日野氏は語る。初見氏が五年間患った病的状況(医者の見立てでは「自律神経失調症」)について日野氏はこう語る。
では、何がこの病気を生み出したのか?
それは、初見宗家の「感性」だ。つまり高松翁 [=初見氏の師匠] から伝授されていった様々なものと、初見宗家自身が実際に行なっている事の差を、初見宗家自身は悩みに悩んだのだ。なぜ悩むことが出来たのか?それは「感性」のはたらき以外の何ものでもない。感性が初見宗家御自身に問題があると知らせたのだ。
(中略)
初見宗家は、御自身の今迄習い覚えたクセが原因であると気付いてはいるが、そのクセを抜き去ることが出来ない、つまり、「後来習態の容形を除き、本来精妙の恒体に復す」というトンネルに入られたのだ。
簡単に言う事ではないが、あえて簡単に言ってしまえば、こういった自己矛盾がこの病気の原因なのだ。自己矛盾や絶望感が入り交じって、 悩みに悩んでいたことが原因であり、だからこそ、病に倒れるという奇跡的な偶然を引っ張り出されたのだ。[初見氏は病を得ることで、初めて自分を捨てて「身体が感じるままに」動けるようになったと日野氏は解釈している]
この自己矛盾に立ち向かうことこそが、歴史に残る達人達が通り抜けたトンネルなのだ。いや、この自己矛盾というトンネルを見つけ、通り抜けた人だけが達人と呼ばれ、歴史に名を残しているのだ。(186-187ページ)
中二病とは便利なもので、容易に自分を偉人と同一視し、その妄想から自己回復することもある。「なぜ悩むのだろう。なぜ割り切れないのだろう。なぜ考えることを止めることができないのだろう。なぜ自分は偽善しかできないのだろう」とウジウジと思い悩み続けていたことを、私は安直に「自己矛盾というトンネル」と読み替え、そこに積極的な意味を見出すことができた。妄想も方便で、当座よい結果が出れば無理に抑えることもあるまい。私は自分の中二病的解釈(「現在の悩みは、自己矛盾のトンネルであり、creative illnessといえるかもしれない」)を許そう。私の感性がストップをかけるまで。そうでもなければますます不調をこじらせ仕事にさえ支障をきたすかもしれない(今でも多くの不義理をしているのだから)。
現金なもので、この文章を数時間かけて書きながら、私は少しずつイライラ感を払拭していった。今、心身は晴れ晴れとまではいかずとも、まあ明日から仕事に復帰できるぐらいには回復した。感性を頼りに、一つ一つ身体で(ということは心身で)考え、その思考を具体的な行動で示してゆこう。諸矛盾の「最終的解決」などはあるはずもないし、そもそも考えるべきでもない(それは歴史が示すとおりだ)。人間社会では矛盾が避けられないのなら、矛盾を嫌わず、矛盾と共に生きよう。矛盾に呑み込まれてしまうことなく� �矛盾を活かしてゆこう (うーん、まさに中二病チックな表現だなぁ)。
そういえば甲野善紀氏 ―この記事での敬称はすべて「氏」とする― の言葉にこのようなものがあった。
矛盾を矛盾のまま矛盾なく扱う。
やはり武術とは深い文化だと思う。
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