ちゃんばらーじゅん:映画
ヴィクトリア女王の系統は、もっぱら女系が強く、また、女性が優秀である反面、男にはろくな人材がいなかった。今の、エリザベス女王は立派で王に相応しいが、その息子、チャールズもどこか間抜けた感じで、離婚して国民の不興を買っている。イギリスの首相チェンバレンがヒトラーとの融和策を取って、まんまと乗せられ、チェコ併合からポーランド侵攻までのやりたい放題を招いた原因の一つが、ミュンヘン会談であった。チェンバレンは、ドイツのノルウエー侵攻も許し、何とかヒトラーと妥協しようとした。その原因は、実は、王室や、当時のエリートにナチス派が沢山いたことである。これは映画、「日の名残(アンソニー・ホプキンス、エマ・トンプソン)」でも描かれている。本当はジョージ6世も責任の一端が� �るが、イギリスは参戦し、勝利したので不問になっている。チェンバレンだけがお人好しの首相として歴史の悪評を受けている。彼は、開戦後、胃がんで亡くなったから、あまり言われないが、余程、ヒトラーとの会談に悩んだのだろう。
大英帝国ヴィクトリア女王の子孫は多く、ヨーロッパの王家と縁戚となった。特に、王女の一人女王の長女ヴィクトリアとドイツ皇帝フリードリヒ3世の息子がヴィルヘルム2世。ヴィクトリア女王の長男エドワード7世とデンマーク王女アレクサンドラ(クリスティアン9世の娘)の息子がジョージ5世で、この映画では後継者を心配しつつ亡くなります。
ロシア皇帝ニコライ2世(ヴィクトリア女王の次女アリスの四女アリックスの婿)ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は従兄にあ� �り、従兄弟同士が第一次世界大戦で敵同士として戦ったことになる。ロシア皇帝ニコライと従兄弟にあたるジョージ5世は髭のせいか、そっくりさんである。血縁はない筈だが、ロシア皇帝はそもそも、エカテリーナがドイツから来ているからDNAがつながっているかもしれない。名君ヴィクトリア女王に比べ、この孫達はあまり優秀ではなかったらしい。その為、くだらない戦争を繰り返し、第一次世界大戦で、ドイツ皇帝も、ニコライ2世も結局追放され、国を失った。特に、ニコライ2世の息子アレクセイは血友病で、これはヴィクトリア女王の家系から来ている。血族結婚のせいである。その母親であった女王の4女アレクサンドラ(アリックス、ニコライ2世の妻)が、ラスプーチンに何でも頼ったために皇室への民衆の離反が始まり� �ロシア革命が起きた。
その、ジョージ5世の息子エドワード8世もシンプソン女史とゴタゴタを起こし、王位を捨てた。国や国民そっちのけで女に夢中になる、いい加減な男であった。ビクトリア女王はさぞかし、天からため息をついた事だろう。特に、エドワードはシンプソン夫人だけではなく、ナチスと結託してジョージ6世を板挟みにして悩ませた。とんでもないアホであった。ジョージ6世は問題はあったが、懸命に国王の責任を果たそうと努力し、第二次世界大戦を乗り切った。大戦中、また、その後の大英帝国の解体に翻弄され、英国の権威の維持に懸命に奔走し、56歳で逝去した。善良王として英国民の評判は良い。今のエリザベス女王の父上として良い結果を出すようになったといえる。日本の皇室は平成天皇がヨ� �ロッパ王族にみられる血族結婚の悪影響を心配して、小泉信三慶大教授の助言もあり、皇族以外からお妃を選び、美知子妃殿下が伴侶となられたのである。
甥である英国王はこれまでの国王より多少ましで、懸命に使命を果たそうとした。これがジョージ6世である。だが、ドモリで困った。そのドモリを克服すべく、心理療法の専門家ローグと懸命の努力をする国王のノンフィクションである。戦争の開始を告げた国王の演説は国民を鼓舞することとなった。この映画では、イギリス、特にロンドンの空気とか、気候、時代の雰囲気が見事に再現されている。映像作品として高い水準を達成し、今年のアカデミー賞を獲得した。
Wikipediaより、映画のあらすじ
1925年、大英帝国博覧会閉会式で、ヨーク公アルバート王子はエリザベス妃に見守られ、父王ジョージ5世の代理として演説を行った。しかし、吃音症のためにさんざんな結果に終わり、聴衆も明らかに王子の演説に落胆してしまった。アルバート王子は「専門家」による治療を試すものの、結果は思わしくなかった。
1934年、エリザベス妃は言語聴覚士であるオーストラリア出身のライオネル・ローグを紹介され、アルバート王子は仮名を使って、その療法を受けるため、ローグのみすぼらしいオフィスを訪問した。第一次世界大戦によって戦闘神経症に苦しむ元兵士たちを治療してきたローグは、当時、本流とはいえない療法をもって成功していたが、アルバート王子に対しても、愛称(バーティーとライオネル)を使い合うことを承知させ、くだけた環境を作り出して療法を始めようと提案する。これに対してアルバート王子は反発し、治療法そのものに納得しない。ローグは最新の録音機を使い、王子に大音量の音楽が流れるヘッドホンをつけることで自身の声を聞けない状態にしてシェイクスピアの『ハムレット』の台詞を朗読させ、その声をレ� ��ードに録音させた。王子はひどい録音になったと思い込み、また治療の見込みがなさそうなことに腹を立てて帰ろうとする。それならと、ローグは録音したばかりのレコードを王子に持って帰らせる。
ジョージ5世のクリスマスのためのラジオ中継が行われた後、国王は王太子デイヴィッド王子とアルバート王子の将来について心配していることを告げる。国王はデイヴィッド王子について次期国王として不適格だと考えているようであり、弟であるアルバート王子が王族の責務をこなせるようにならねばならないことを強調し、きつく接する。帰邸後、落ち込んだアルバート王子は、いら立ちとともにローグから受け取ったレコードを聴く。だがそこには、吃音の症候はまったくない『ハムレット』の台詞が録音されていた。王子はエリザベス妃ともども、自分の声を聞いて驚く。そして、王子はローグの治療を受け続けることにして、口の筋肉をリラックスさせる練習や、呼吸の訓練、発音の練習などを繰り返し行う。
1936年1月、ジョージ5世が崩御し、デイヴィッド王子が「エドワード8世」として国王に即位した。しかし、新しい国王はアメリカ人で離婚歴があり、まだ2番目の夫と婚姻関係にあるウォリス・シンプソン夫人と結婚することを望んでいたので、王室に大きな問題が起こるのは明白だった。このような状況下、アルバート王子は、吃音症の治療により一層真剣になり、またローグは問題の原因となっていると思われる、王子の幼少期の体験による心理的問題、肉体的問題による背景を知り、より適切な解決を図ろうと試みる。
その年のクリスマス、ヨーク公夫妻はバルモラル城で行われたパーティで、国王とシンプソン夫人の下品な姿を目の当たりにする。見かねたアルバート王子が兄王に、離婚歴のある女性との結婚はできないことを指摘すると、王は吃音症治療は王位がほしいからなのかと責め、兄弟の関係は険悪になる。さらに、アルバート王子が即位することを望むローグとの意見対立から、王子は治療を中断してローグの元から去ってしまう。
結局、エドワード8世は、即位して1年も満たぬうちに退位[2]し、アルバート王子が国王として即位することを余儀なくされた。それまで、海軍軍人としてのみ公職を持っていたアルバート王子は、この負担に大きな苦しみを感じることとなる。しかしヨーロッパにおいては、ナチス・ドイツのファシズム、ソ連の共産主義が台頭し、一触即発の機運となっていた。英国は王家の継続性を保ち、国民の奮起をうながすため、立派な国王を必要としていた。
英国王として即位したアルバート王子は、父親の跡を継ぐという意思表示をも含めて「ジョージ6世」を名乗ることになった。しかし、新国王の吃音症は依然として深刻な問題だった。同年12月12日の王位継承評議会での宣誓は散々なものとなった。ジョージ6世は再びローグを訪ね、指導を仰ぐこととした。1937年5月、ジョージ6世は戴冠式でローグが近くに臨席することを望んだが、カンタベリー大主教コスモ・ラングをはじめとする政府の要人は、ローグは満足な公の資格を持たない療法者にすぎないので、他の専門家による治療を受けるようにと要求し、ローグを国王から遠ざけようと試みる。しかしジョージ6世は、それまでにローグとの間に築き合ってきた信頼関係を第一とし、また彼自身が吃音症を克服しつつあることを自覚して� ��ローグを手放すことをせず、彼の治療方法を信頼することにするのだった。
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